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東日本大震災から10年① 全国の仲間に支えられた原ノ町支部

東日本大震災から10年① 全国の仲間に支えられた原ノ町支部
2021年 3月11日

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東日本大震災から10年①

地震、津波、原発事故の混乱の中、全国の仲間に支えられた原ノ町支部

東日本大震災から10年。JR東労組水戸地本は亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。そして当時のJR東労組の取り組みの教訓を振り返り、JR東労組の組織強化・拡大により組合員の利益を守り、地本再建と安全で平和な社会の実現に向けた取り組みを進めていきます。今回はJR東労組原ノ町支部岩橋副委員長の経験を紹介します。

―地震発生時の状況を教えてください

当日は休みで自宅2階にいました。ひどい揺れでしたので1階に下りて外に出ようとしましたが、1階に下りるのも困難な揺れでした。最初は原発のことが心配でしたが「安全に緊急停止した」とのことで安心しました。

 翌日は出勤し、駅に取り残されていた乗務員を公用車で迎えに行きました。乗務中に津波に遭遇した組合員は無事でしたが、原ノ町支部管内では原ノ町駅連区分会の組合員が、残念ながら津波の犠牲になりました。

 私が出勤した3月12日、福島第一原発は水素爆発を起こしました。また、原発事故の影響で職場は閉鎖となりました。

―震災当時のJR東労組の活動はどうでしたか?

3月12日から16日まで原発事故で屋内退避を命じられていました。また原ノ町運輸区等の職場も閉鎖されたため支部は機能停止。さらに私は自主避難となりましたので、JR東労組の活動はできませんでした。

―JR東労組の活動はその後どうなりましたか?

私は16日に、この先どうなるか分からないという不安の中で福島市へ自主避難しました。当時は南相馬市の人口7万人のうち6万人が避難する状況でした。福島に親戚等はいなかったのでJR東労組福島支部に行ってみました。福島支部から避難所を紹介され無事に避難することができました。同じ避難所に偶然当時の支部書記長がいましたので、彼と協力し、福島支部事務所を拠点に本格的に安否確認を開始することができました。3月20日までには約9割の組合員の安否確認をすることができました。

―当時の組合員の支援やボランティア活動についてお聞かせください。

原発事故で水戸地本や、いわき支部からは分断されてしまったことから、当初の組合員支援は仙台地本や福島支部と連携していました。ボランティア活動については避難を免れた組合員を中心に3月以降、避難所運営等を担っていました。「旅のプレゼント」の経験もあり、違和感なくボランティア活動をすることができました。

―大震災から10年を振り返り、いま思うことをお聞かせください。

当時は地震、津波そして原発事故による避難という大変な状況でした。しかし原ノ町にも福島にも頼ることのできるJR東労組の仲間がいました。私は最終的に横浜の親戚宅へ避難しましたが、横浜にもJR東労組の仲間がいました。津波被害の甚大だった岩手県沿岸地域には震災直後にもかかわらず、JR北海道労組の仲間がトラック2台に一杯の支援物資を積んで駆けつけてくれたことも聞きました。JR東労組はもとよりJR総連加盟組合の頼れる仲間が全国にいてくれることの大切さを改めて感じました。

 JR東労組は組織分裂がありましたが、今でも東日本エリアのどこにでも仲間がいます。また、JR総連加盟組合の仲間が北海道から九州まで全国にいます。いざという時に支えてくれるのは、国でも会社でもなくJR総連・JR東労組の仲間であるということは、私の経験からもはっきりと言い切ることができます。これからも、この仲間達を大切に、JR東労組水戸地本、原ノ町支部の再建に向けて取り組みを進めていきます。

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