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東日本大震災から10年③ 東日本大震災の教訓を忘れず、JR東労組の再建を実現しよう!

東日本大震災から10年③ 東日本大震災の教訓を忘れず、JR東労組の再建を実現しよう!
2021年 3月16日

東日本大震災から10年③

東日本大震災の教訓、労働組合の大切さを忘れず、

JR東労組の再建を実現しよう!

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東日本大震災では、津波により組合員や家族の命も奪われ、多くの組合員が被災しました。会社の対応も十分ではない中で、JR東労組は仲間と助け合い、全国の仲間の支援を受けながら困難を乗り越えてきました。今回は、JR東労組原ノ町支部吉田委員長(当時いわき運輸区分会)から当時の状況と教訓を聞きました。

―地震当日の状況を教えてください

地震当日は休みで、近くの海岸に散歩に出かけましたが、いつもと違う感じがして早々に切り上げたのを思い出します。

その後地震が発生し、近所の方々と被害のあった家の片づけしていました。しかし大津波警報が発令され、高台の小学校に避難しました。避難途中、川が津波で溢れそうになっていたのを思い出します。家族の安否が確認できたのは、20時頃でした。

―当時の会社の対応はいかがでしたか?

避難所に着いた後、翌日の勤務が気になり避難所の近くのコンビニの公衆電話に並んで職場に連絡しました。すると会社から返ってきた答えは「翌日は4時出勤の仕事ですのでよろしく」というものでした。「現在避難中なので無理」と伝えましたが、「まだ運休が決まっていないから出勤するように」とのことでした。

翌日0時ごろに再度連絡をして、自宅待機の指示をもらいました。「自宅待機中は、水汲み、買い物や、原発事故の避難に時間を使ってはいけない」と言った管理者がいました。もう笑うしかありませんでした。近所の方や知り合いの中には、会社から支援物資や燃料の提供を受けた人がいましたが、JR東日本会社からは何もありませんでした・・・。

JR東労組いわき支部に支援物資が届いていることは知っていましたが、県外に避難をしていることや、ガソリンが不足していることから支部には行けませんでした。

―津波の被害も甚大でした

いわき支部、原ノ町支部では組合員が犠牲となりました。本当に残念でなりません。津波に遭遇したのは、家の後片付けに戻った時だったそうです。教訓は、大地震の際には慌てず、安全な場所に避難すること。そして津波は必ず来る。直ちに高い場所に避難することです。日々の備えが大事だと痛感しています。

―職場に復帰したのはいつですか?

いわき運輸区は閉鎖されたため、自宅待機が続きました。高萩・勝田駅間が4月に運転再開されることになり、4月上旬より職場復帰し、試運転列車のハンドルを握りました。

―東日本大震災から10年を迎えての思いをお聞かせください

大震災当時はいわき支部組合員でしたが、現在は原ノ町支部の委員長をしています。組織分裂が発生し、組合員の数は減ってしまいましたが支部を再建し、JR総連総合共済やドライバーズ共済会の給付も滞りなくできています。先日の地震でも組合員が被災しましたが、共済金給付手続きも迅速にすることができています。

残念ながら多くの組合員がJR東労組から離脱していますが、東日本大震災当時、JR総連・JR東労組の仲間に支えられた方もたくさんいると思います。自然災害が多発するのみならず、会社の経営状況も激変している中で、労働組合の大切さを離脱した皆さんにも思い出していただき、JR東労組への再加入を決断してもらいたいと思います。私も再加入を希望する組合員を全面的にサポートし、JR東労組の再建を果たしていきます。

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